第1便がウクライナに届いた

ロシア軍がウクライナへの全面侵攻を始めた2022年2月、キーウの北に位置するイバンキフ村は、その歴史の中で恐ろしい時を過ごしました。村は破壊され、住民に多くの犠牲者が出ました。人道的危機に見舞われ、占領されました。しかしイバンキフ は生き残って抵抗し、ロシア軍からウクライナの首都であるキーウを救いました。

現在、この村はほぼ通常の生活に戻っています。しかし、軍事的な現実と経済的な困難の中で、イバンキフは高齢者や障害を持つ人をはじめとした社会的弱者グループの人々への助けを必要としています。

2023年3月 15日、FFU は合計100 台の車いすをイバンキフ村に無事届けました。これは「Japan Wheelchair Project for Ukraine」始動以来、日本からウクライナへの初めての大規模な車いすの提供となります。

Japan Wheelchair Project for Ukraineが取り上げられた、記事(原文・ウクライナ語)はこちら

「車いすの寄贈が本当に待ち望まれていました。イバンキフ村には筋骨格系の疾患を持つ障害者が 4000 人近くおり、大人 100 人以上、子ども 12 人以上が車いすを使用しています。寄贈は私たちにとって非常に重要で、とても感謝しています」イバンキフ社会サービス地域センターのディレクター、ナタリア・ネステレンコさん

インフラ攻撃強めるロシア軍

2022~23年の冬、ロシア軍のドローンによるインフラ攻撃でキーウ周辺でも電力事情が悪化しました。発電や送電のインフラが被害を受けました。停電時間が長くなり、昼と夜にそれぞれ4時間程度、停電することもありました。

政府は病院や社会センターへの電力供給を優先させました。一般市民を取り巻く状況は厳しく、家庭用の薪ストーブで暖をとる家庭もありました。この冬もロシア軍はインフラへの攻撃を強めるとみられています。

第一便のうち100台はチェルノブイリの警戒区域に近いキーウ近郊のイバンキフ村に届けられました。この地域はロシア軍に攻撃され、一時占領されたため、多くの被害を受けました。現在、多くの高齢者が住んでおり、医療を受けることができないため、病状が悪化しています。

この村で車いすを使用する障害者は多く、その中にはナタリア・ラグテンコさんも含まれています。

ナタリアさんは大学卒業後、事故で障害を負い、ウクライナ代表チームの障害者アスリートインストラクターとして活躍しています。 筋骨格系障害を持つアスリートのパラカヌーで世界選手権の銅メダル、ブラジルパラリンピックで銀メダル。東京パラリンピックにも出場しました。

病院は負傷兵であふれていた

2023年4月24、25の両日、日本の車いすが届けられたウクライナ西部テルノピリ市にある2つの公立病院を訪れると、病床は負傷兵であふれ、“戦時病院”と化していました。「140床あるベッドの大半は負傷兵で埋まっています」(第3市立病院のユーリー・ラザルチュク院長)

2月下旬、東部ルハンスク州の前線で左足に被弾したビタリーさん(44)はベッドに横たわり、昼食をとっていました。農場ではトラクターを運転していましたが、戦場では戦車を運転しました。

1月下旬の朝、ルハンスク州クレミンナで対戦車地雷を踏んで左足を吹き飛ばされたヴラディスラさん(21)はリハビリに取り組んでいました。戦争前は大学で法律を学ぶ学生でした。セルヒーさん(46)は東部ドネツク州の要衝バフムートで撃たれ、右足を失いました。

子どもたちに外出の自由を

第2便150台のうち140台がテルノピリ市の病院や養護施設に配られました。日本のバギーや車いす4台が贈られた地域特化型児童養護施設は2022年、空襲に備えて地下の部屋を子どもたちが長時間にわたって避難できる防空壕に改造したそうです。

施設で寝泊まりする8人を含む乳児から12歳児までの56人が入所しており、空襲警報が鳴るたび、子どもたちを抱きかかえて防空壕に逃げ込んでいます。不安を紛らわせるため、みんなで歌ったり踊ったりします。

日本の車いす15台、バギー2台が贈られたテルノピリ州立小児臨床病院はロシア軍の侵攻以来、405床のベッドは満床状態です。医師は165人、看護師は310人。夕方から夜にかけ、12人の医師が夜勤につきます。侵攻以来、合計して1万5000人の子どもが入院し、7000人の救急外来、4500件の手術を処理したそうです。


生命維持装置を付けている子どもは動かせなかった

日本の子ども用車いす13台が2023年5月4日、キーウにある国立子ども病院に寄贈された時、ヴォロディミル・ゾフニル院長は「4日未明にもロシア軍が再びキーウを攻撃しました。私たちの病院からそう遠くない場所、1~2キロメートル離れたところで無人航空機(ドローン)が撃墜されました」と表情を曇らせました。

「最後の瞬間までロシアが私たちを攻撃してくるとは信じていませんでした。22年2月は700人以上いる子どもたちを2カ月ほど地下の防空壕に移動させ、踊り、サッカーに興じ、絵を描きました。小児がんの子どもたちは欧州の国々の専門医に連絡を取り、受け入れてもらいました」。生命維持装置を付けている子どもは動かせなかったそうです。

地下シェルターは空気、水、環境が非常に劣悪だった。透析患者、小児がん患者、難しい手術が必要な患者だけを避難させました。それ以外は病院に残り、緊急手術も行いました。出産した女性もいたそうです。

ルハンスク州から32万人が避難

第 3 便 215 台が 2023年7 月 25 日、東部ルハンスク州リシチャンシク市当局(ロシア軍の占領下にあるため、ハルキウ州やドネツク州に避難中)に引き渡されました。親露派武装勢力がルハンスク州の民家を襲ったのは 2014 年のことでした。このため膨大な数の住民が故郷を追われ、国内避難民となることを強いられました。

この中には車いす利用者もたくさんいます。「ルハンシク州から約 32 万人が避難を強いられました。その中には自力で移動できない障害を持つ子どもたち、大人、高齢者も含まれています。車いすでの移動は彼らの生活にとって必要不可欠です。しかし、多くの人にとって車いすは高額すぎて購入することができないのが現実です」(リシチャンスク市の副責任者オクサナ・ヴォロシナ氏

私たちは鉄とコンクリートでできている

第4便305台が2023年9月4日に北東部ハルキウ市サルチフスキー区の社会サービス地域センターに引き渡されました。ハルキウ市は昨年ロシア軍の攻撃を受けた前線に近い都市の一つです。この街とその人々は「自分たちは鉄とコンクリートでできている」と言います。しかし、どんなに強く見えても助けは必要です。

ハルキウ市内でロシア国境に最も近い場所の一つ、ハルキウ市サルチフスキー区は最大の破壊と被害に見舞われました。敵の砲撃で数百人が負傷し、数十人が死亡しました。日本から届けられた車いすはすべてサルチフスキー区の社会サービス地域センターに送られ、戦闘に巻き込まれた村人や障害者、自力で動くことのできない高齢者らに提供されます。

日本のNPOから贈られたキティちゃんのタオルや手ぬぐいで汗を拭うFFUメンバー。真ん中がオレナさん

オレナ・ニコライエンコからのメッセージ
FFUポーランドGM

戦争が始まる前からウクライナでは車いすは高級品で、高価であり、不足していました。敵の侵攻と砲撃により移動できない被災者が日に日に増えています。自力で動くことができない人も急増しています。高齢者の中には医療を受けることができず、介護を必要とする人も少なくありません。これがウクライナの人々が車いすを切実に必要としている理由です。

 『ウクライナの人々に車いすを』という医療プログラムに参加してくださる日本のパートナーの方々に心から感謝申し上げます。私たちはこのプログラムを、戦争で被害を受け、日常生活で使用する車いすを必要とするウクライナの人々を支援するために始めました。私たちは、車いすの素晴らしさを知っています。車いすは人々の日常生活を助けてくれます。